蔵王文学のみち 茂吉歌碑ガイドブック
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ジ路平たひらぐらの高たかまき牧に来てあかときの水飲み居れば雲はしづみぬ― 27 ―だ、この峠の道は。身に沁みて愛(いと)しいな。注釈小題「笹谷越」60首中の一つ。「おのれ今年六十一歳の還暦をむかへたれば、をさなき頃父兄より屢その話聞きつる笹谷峠を越えて記念とす。五月一日朝、甥高橋重男を伴とし上ノ山を立つ」。「十二時笹谷のいただきにいたる。風つよく松の矮樹のみにて休らふ樹かげなし。凹きを選びて荷をおろしつ」。笹谷峠は宮城県と山形県を結ぶ最古の峠。標高906メートル。江戸時代は仙台城(仙台藩領)と山形城(山形藩領)結ぶルートで参勤交代にも使われた。明治26年~28年にかけて改修。明治29年8月、仙台まで父に連れられ歩いて上京した茂吉の越えた峠は関せきやま山峠。標高650メートル。単に故郷を愛するということだけでなく、茂吉の父や兄が笹谷峠のことを言い、茂吉の全歴史がこの歌にこもっているといえる。場所笹谷峠出典霜(昭和17年)建立者斎藤茂吉歌碑建立委員会牧に来て△あかときの水飲み居れば雲はしづみぬぐらの高ると山の雲が沈んで見える。注釈小題「歌碑行」22首中の一つ。山の歌碑❸の歌の註参照。茂吉が昭和14年の蔵王山頂の歌碑を初めて見たときに作った歌。場所蔵王坊平出典寒雲(昭和14年)建立者上山市タカマキタイラ朗読平意味(歌碑を見るために朝早く出て)平ぐら(今の蔵王坊平高原)に着き、水を飲んでい建立年昭和62年(1987)建立年昭和49年(1974)トウゲ朗読ふた国の生きのたづきのあひかよふ△この峠意味(昔から)宮城、山形2つの国の人らの暮しを支えてお互いに通い合った生活道路カナを愛しむわれはアクセスはこちらからアクセスはこちらから蔵王文学のみち周辺歌碑蔵王文学のみち周辺歌碑北の歌碑南の歌碑ふた国の生いきのたづきのあひかよふこの峠たうげ路ぢを愛かなしむわれは

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