

山形のお土産で、ぱっと思いつくのはさくらんぼ、ラ・フランス、ふうき豆、のし梅、お漬物、… そして忘れちゃいけないのが、山形発祥といわれている「玉こんにゃく」です。山形に住んでいるとこんにゃくは丸くて当たり前、なんて考えがちですが、他県から訪れた人はみな不思議がります。お土産としてはかなり人気があるものなのですよ。今回はそんな玉こんにゃくを創りつづけて80余年の老舗、「千歳山こんにゃく店」を訪ねました。 |
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市街地からほど近く、阿古耶姫の伝説が伝わる千歳山。「道に迷ったら千歳山を探せ」なんて言われたり、散歩や登山の足慣らしに訪れる方も多い、市民に親しまれている山です。中腹には千歳山稲荷神社を有し、鳥居が立ち並ぶ参道口の前に千歳山こんにゃく店があります。 |
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1品目はみそでんがく。ふつう、みそでんがくといえば四角いこんにゃくに味噌を塗ったものを想像しますが、ここのでんがくは玉こんのように丸いです。そして玉こんよりもサイズが大きいです。注文するとすぐにおばさんが白く湯気立つ鍋から熱々のこんにゃくを取り出し、味噌の壷へIN!それから私達のテーブルに運ばれてきました。たっぷりと味噌のついたこんにゃくを頬張ると、柚子の香りがふんわり。甘めのみそとぷりぷりとした食感がたまりません。 |
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定番の玉こんも、ほかのお店よりかなり大きめ。開店以来変わらない、この店のこだわりです。醤油がよく染み込んだ様なこんがりとした色をしている玉こんの食欲をそそる香りにつられてかぶりつくも、とても一口では収まらない大きさ。ぴりりと利いたからしと濃いめに煮込まれたこんにゃくがよく合います。 |
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意外なメニューもたくさんありますが、どれも食べ応え抜群でおいしかったです。普通のおそばやハンバーグよりも満腹感を感じ、1品だけでも充分お腹いっぱいという感じ。こんにゃくをここまでに仕立て上げるのはさすが老舗のこんにゃく店だと感心しました。1年中食べることのできるこんにゃくはヘルシーで体をきれいにしてくれるといわれています。体を中からきれいにしたい方、ぜひここを訪れて思う存分食べてみてはいかがでしょうか。 |
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食事を済ませたわたしたちは、お土産売り場へ。 後日お土産を届けた隊員に聞いたところ、さしみこんにゃくは説明をよく聞いていなかったのか、手でちぎっておでんへ。玉こんは一緒に買ったタレで煮込んだということでした。 みなさんも大切な人に、山形名物の美味しさをお届けしてみてはいかがでしょうか? (2005年3月17日 探険隊員:キックス、蟻) |
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初版のプリント版城下町やまがた探険地図がお披露目されたのは、昨年の10月。それから1ヶ月ほどして、私たち探険隊員は改訂版の製作にとりかかりました。
昨年の冬は、例年にない大雪でした。
12月初めから連日降り続いた雪は、またたく間に地表を覆い、普段バイク移動している私に春から秋までとは全く違う生活を強いました。そして同時に、探険地図を携えて冬の城下町やまがたを西へ東へ歩く日々が始まりました。
ある日曜日、山形五堰について確認したい箇所をまとめて見て回ることにしました。
まず、末広町から笹堰を辿って東へ向かうと、堰だけを気にして、ただ黙々と歩きました。蓋のされている堰をのぞき込んだり、地図に記しを書き込む時以外はほとんど立ち止まることもなく、ただひたすら歩き続けました。
街を流れる水路は網の目のように張り巡らされ、分岐する箇所が多くあります。そのため、いつものようにおもしろ探しをしながらキョロキョロとよそ見していると、別の流れを辿ってしまいそうだったからです。
六椹観音裏の畑を鍵型に折れ曲がり、六椹八幡宮前の通りに出たあたりから、歩きに調子が出てきました。そして、三日町を過ぎた辺りで、少し息が上がってきていることに気づきました。堰に沿って軌跡を描き、流れを遡るうちに、徐々に標高を上げていることを、運動不足の身体が伝えていました。
山形大学の裏で折り返し、今度は来た路からVの字を描くように別の笹堰を辿り、流れとともに標高の低い方へ低い方へと移動し始めると、登っているときよりも確実に、私の身体は扇状地である地表の傾斜を感知し、滑るように前へ進んでいきました。
私はこれまで「歩くスピードでしか見えないものを探す」ことが面白くて、歩くことを好んできました。
しかし、地表を移動する私の身体は、地表を覆ういろいろなものを取り払って地形を感知し、今まで見えていなかった山形と地下に潜ってしまった歴史を感じたいと願っているようでした。
ふと、昨夏のエクスカーションの時に、高橋信敬先生が「山形は城下町よりも低いところにお城を構えた珍しいまちです」とおっしゃっていたことを思い出しました。
ほとんどの人が歩いて移動して時代。少しだけリアルに感じられた、ひとり城下町やまがた探険の1日でした。
情報デザイナー
大沼亜希子さん